○佐々成政(1536〜1588年)  



 佐々成政は佐々成宗の第5子として尾張(名古屋市)の比良城に生まれ
 る。成政は14歳で織田信長の小姓となり、成政の父や兄と共に信長に仕
 える。永禄十年(1567)には織田信長の親衛隊である黒毋衣組(くろほ
 ろぐみ)の筆頭に選ばれる。永禄三年、成政が25歳のときに家督を継ぎ
 比良城主となる。天正十年(1582)の本能寺の変後、羽柴秀吉(のちの
 豊臣秀吉)と対立することになり成政にとって苦渋の日々が続く。
 成政は信長の忠臣だった為、秀吉の織田家を乗っ取るような行為が許せ
 なかったのかも…?
 成政は信長の遺児である信雄を立て、徳川家康を味方に付け秀吉と対立。
 しかし信雄が秀吉と講和を結んだ為、家康も秀吉と講和。
 成政は家康に何とか立ち上がってくれるよう要請を試みるが、既に取り囲
 まれていて家康に接触する事が出来ず苦しむ。
 そこで秀吉が唯一監視を置いていない、厳寒の雪深い立山を越え家康に会
 いに行きます。これが「さらさら越え」です。
 しかし、成政の決死の覚悟にも家康が動くことはありませんでした。
 その後成政は越中に戻り秀吉に降伏。その後、肥後(熊本県)一国を与え
 られたが国人一揆の責任を問われ兵庫県尼崎の法園寺で切腹。享年53歳。


佐々成政、埋蔵金の逸話
http://akasaka.cool.ne.jp/hiro13/story.html


佐々成政について調べてみるには
       
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