埋蔵金ハンター
現在もひっそりと眠る埋蔵金
 総埋蔵額200兆円はいつ掘り起こされるのか?
日本埋蔵金地図

埋蔵金伝説のある地域

  @ 源義経の黄金    北海道恵庭市近辺
                 源義経について

  A 奥州藤原氏の黄金  岩手県平泉町近辺
                 藤原氏について

  B 結城晴朝の黄金   茨城県結城市近辺
                 結城氏について

  C 徳川幕府の御用金  群馬県赤城村?渋川市?
                 徳川幕府について

  D 武田信玄の軍用金  山梨県甲府市?塩山市? 
                 武田信玄について

  E 佐々成政の軍用金  富山県富山市近辺 
                 佐々成政について

  F 豊臣秀吉の黄金   兵庫県猪名川町多田銀山 
                 豊臣秀吉について

  G ソロモン王の秘宝  徳島県三好市近辺 
                 ソロモン王について

  H 天草四郎軍の秘宝  熊本県苓北町近辺 
                 天草四郎について

  I 海賊キッドの宝   鹿児島県十島村宝島 
                 海賊キッドについて


かつて日本も戦国の世の中でした、弱肉強食の世の中で強い者が富を得ていた事実は 日本史で学ばれたことと思います。
一国一城を得た戦国の武将が埋蔵金として資産を何処かに隠していながら世を去ったと しても不思議なことではありません。

実際に発見された埋蔵金は戦後だけでも50件を数えていますが、報告されている件数 ですので実際に発見されている数はこれ以上であることは言うまでもありません。
埋蔵金の発見を報告されているものは全てにおいて偶然掘り起こされてもので 埋蔵金ハンターが発見したものではありません。

埋蔵金発見事例@
埋蔵金が偶然掘り起こされたニュースとして昭和38年東京都中央区の日清製油本社ビル 改築工事中に江戸時代の金貨が掘り起こされました。天保小判1900枚、天保二朱金約78000枚を発見。
当時の時価で6000万円、現在であれば10億円近い額です。
前年ながら、その後の調べで発見された金貨は戦国の武将の埋蔵金とは関係なく、 江戸時代の半ばに、この地で営んでいた9代目鹿島清兵衛(酒問屋)が埋めたものだということが判明しました。

埋蔵金発見事例A
昭和31年こちらも東京都中央区ので多量の小判が発見されてました。現場から掘り出された土砂を江東区深川の埋め立て地へ運び 土ならしをしていた作業員が合計208枚の小判を発見。
江戸時代に発行された小判で、最も金の純度が高いと言われている「慶長・正徳・享保」の3種類の小判でした。

埋蔵金発見事例B
昭和36年山形県白鷹町の最上川では魚とりをしていた小年が、川底から1枚の小判を拾い、 半月ほどの間に合計23枚の文政小判と文政二分金9枚を発見。

埋蔵金発見事例C
昭和46年には山梨県勝沼町では「ひるも金」2枚と甲州金18個と 中国から輸入した銅銭が約5000枚発見されています。
発見された金は武田信玄の一族の勝沼氏の軍用金の一部ではないかと推測されています。
徳川幕府の御用金は何処に?
     ◎埋蔵額No1の豊臣秀吉の黄金は何処に?

徳川幕府の御用金は400万両と伝えられ、群馬県方面へ運ばれ埋蔵されたと伝えられています。
かつてTV番組でも発掘作業を行いましたが結局番組内では発見されませんでした。
埋蔵地は赤城山の麓が最有力とされていますが、旧三国街道や旧沼田街道沿いの村にも大量の物資が 運ばれたという情報が残されています。
何カ所かに分散し埋蔵された可能性が高いと言われています。
専門家の話では幕末の徳川幕府に400万両という多額の御用金が残ってないとの事ですが、 数十万両はあった筈とのことです。

「鳴かぬなら 鳴かして見せよう ホトトギス」の豊臣秀吉の黄金は天正長大判4億5000万両と金塊3万貫(112.5トン)で、 場所は現在の兵庫県猪名川町の多田銀山の坑道内に埋蔵されたと言う説が最も有力です。
戦後三重県と大阪府のとある旧家から発見された埋蔵秘文書をもとに多田銀山の坑道内の探索が続けられていますが 未だ発見されていません。
もし大判4億5000万両の埋蔵が事実なら!
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