○天草四郎(1623?〜1638年)  益田時貞



 江戸時代初期、島原の乱の首領とされる少年。
 洗礼名はジェロニモといわれるが、正確な素性は不明。
 父益田甚兵衛は小西行長に仕えた後、帰農したという
 実質的な一揆の首謀者達は彼を…より下った救世主に仕立て農民結集の
 核として様々な奇跡を演じさせ、一方島原藩も蜂起当初より彼を一揆の
 中心人物とみている。1637年時貞は原城に入城。
 翌年の総攻撃で全員虐殺されるまで信徒団結の象徴であった。
 天草埋蔵金の伝説
 キリシタン弾圧による寛永十四年の島原の乱で、原城に立て籠もった一揆
 軍のリーダー、天草四郎。二ヶ月を越す長期戦でついに勇猛果敢な戦いを
 示した一揆軍も落城覚悟。その際、彼は女子供、そして老人を密かに天草
 に帰すことを決意。同時に軍資金などすべての財宝を隠してキリシタンの
 子孫に残すことにした。
 六キロの黄金の十字架、金銀製燭台二十基、南蛮塗りの宝石をちりばめた
 王冠、そして大判小判。
 財宝の守り役として選ばれた小山田慶信が後に埋蔵地を表すと思われる書
 き付けを残し失踪。そこには大きな目印となる三角池が描かれていた。
 そして上島から出た十字架に
「さんしゃる二 こんたろす五 くさぐさのでうすのたからしずめしずむる」
 意味不明な文字。内野河の源流が三角池か。


島原の乱
http://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/Simabara.html


天草四郎について調べてみるには
       
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